土楼建築について書く前に、まずはこの独特な住居形式に住む、客家の人々について触れておかなければならない。客家人を理解することは、そのまま土楼建築の成り立ちを理解することでもある。そのくらい、客家の人々が辿った歴史や生活観がダイレクトに反映された住居形式であるといえるからである。
   
あまり長ったらしく書くと読んでもらえなさそうなので、詳細は他の書籍に譲り、ここでは要約します。


承啓楼に住む子供 宿泊先だった家族の一員

民族的には、漢民族の一支系で、客家方言を話す人々。主に福建省、広東省、江西省の省境部周辺に住んでいる他、広西、湖南、貴州、四川、雲南、海南、台湾など華南の広範囲に分布している。北方からの移民で、3世紀頃から18世紀にかけ、大まかに約3期に分けて移動してきたとされ現在に至っている。そのいずれもが土地を奪われ、戦争難民として北の地を逃れ、家長を強大な権力の中心とし、あるまとまりをもって移住に成功してきたのだという。しかし移住先はすでに先住者である漢族によって開墾され、北方からの移住者、つまり「お客さん」である難民は、居住条件の悪い山間部に住むことを余儀なくされた。つまりこれら戦争難民たちの末裔が、客家人の基礎を築いたとされている。山間部は平地と違い、多くの危険にさらされていた。猛獣や、山賊の襲撃を警戒する必要があったのだ。また、耕地となる土地は少なく、こうした過酷な状況下で生活を成り立たせていくためにも、家長を中心としたまとまりのあるひとつの集団として、強固な団結力を持って暮らさざるを得なかったといえるのであろう。
以下にまとめると。
・漢民族の一支系で、客家方言を話す人々。
・3世紀から18世紀にかけ、戦争難民として北方から華南地域に移住し、その後広域に広がっていった。
・家長を中心とし、団結力をもって生活。
・山間部僻地を開墾して生活。
・多くの危険から身を守らなければならなかった。(家長を中心とした集団的防衛の必要性)
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