田螺坑土楼 (Tianluokeng Hakka Earth Building)

 土楼建築巡りで、一番最初に訪れた村。
周囲の景観に溶け込みながらもインパクトのある佇まいは、南靖県に存在する数ある土楼建築群の中で、筆頭に値するほど非常に美しいものだった。特に方楼の歩雲楼を中心とした円楼の配置関係が、花を開いたかの様なかたちを連想させ、ここを訪れる者の目を楽しませてくれる。土楼建築としての規模こそ小さい方だと思うが、方楼や円楼、中には楕円楼といった客家建築の特徴や個性をそれぞれに持ち合わせており、少々乱暴な言い方かも知れないが、このひとつの村で土楼建築巡りがほぼ網羅できるといえそうなくらい、粒ぞろいの建築群である。

 今この記事を書いていて思うのだが、この村へのアプローチの仕方がまず良かったのだと感じる。山深い道を延々と辿ったその先に、この雄大な景観がいきなり目の前に飛び込んでくる。眼下に木々の間から見え隠れする建築群を望みながら山を下り村に着く。間近にそびえ立つ個々の土楼を自分の目線に置いた時、建築を構成する素材のひとつひとつがより鮮明となり、このゆったりとした独特のスケールと雰囲気を持った建築が、ようやく自身の身体感覚と一致するようになる。例えようのない高揚感。山の高低差が更に相乗効果をもたらし、ひとつにとどまらない視線が奥行きを与える。実に絶妙な、小さな都市計画をみるようだった。

 

 この配列関係も風水によるものなのであろうか?その真意の程は読み取れないが、配置のスケッチに個々の平面を落とし込んでいくうちに、いくつかの発見があった。
 大門(出入口)はそれぞれに1か所あり、その中心軸の対面に祖堂(先祖を祭る堂)が配置される。ただひとつだけ、スケッチにある一番下の円楼(振昌楼)だけ大門と祖堂の関係がずれている。この土楼だけ何故ずれを伴っていたのか、現地で見たときからずっと気になっていたのだった。サイトプランをおこし全体を俯瞰してみると、その原因が直ぐに理解できた。祖堂は全ての土楼で同じ方位に配置されている。つまり、必ず北西方向に祖堂が配置されるという事実が浮び上がる。しかしそうなると今度は逆に、振昌楼だけ出入口に規則性がない事になってしまう。風水の論理からすれば、当然同じ方角を向いていないといけないのだと思うのだが。さてこの事実をどう読み取るのか、しばらく考えてみることにする。

 5棟ある土楼の中で、共同井戸があるのは和昌楼、瑞雲楼、文昌楼の3つ。あとの2棟の歩雲楼、振昌楼は井戸ではなく共同の蛇口を持つ上水道設備が露出配管されていた。しかし元あったと思われる井戸らしき痕跡は、現地で確認できなかった。多分、どこかにあるのだと思われる。そうでないと、土楼建築が成立してきた歴史的背景である、ひとつの土楼で全てを満たすという前提条件が伴わなくなるからである。もしかすると、これら建築群は割合に後期のものなので、これまでの歴史的背景を引き摺らなくても良くなったとの見方もできるのであろうか。
また、円楼においては、階段の配置と個数が全て同じで、方角的にみれば方楼である歩雲楼も同様に南北配列である。井戸を持つものは配置構成にそれぞれに微妙な違いがあり、どのような根拠を持つのかは今のところ不明。

 

 次に建物相互の関係をみてみる。方楼(歩雲楼)をほぼ中心とし、円楼がそれを取り囲むかたちで建ち並び、コンタラインを適切に読み取り、レベルをつけながら上下方向へと展開していく。物理的に自然とレベル差を伴う立地条件であるために、自ずと視線が上下する。移動するごとに視線の差異が及ぼす、単一レベル上ではみられない様々な視角と視点の移動が、建物相互の空間に奥行きと広がりを与え、各々の土楼に至る路地や階段をさらに魅力的に展開させているものと思われる。他の単独で建つ土楼建築にはない、シークエンシャルな展開が、非常に美しくて楽しい。むしろ田螺坑では、建物相互の余白の部分である小道や路地、広場が面白いと言えるのかも知れない。そして、その帰着点である土楼内部に穿たれた空(外部)とつながる庭(天井)から、楼内部の屋根越しに望む円形あるいは四角形の余白(空)にもそういった意味が見出され、訪れる者の心をハッとさせるのである。

ある角度から俯瞰してみると、円楼は花弁で、方楼は雌しべに例えられ、花が開いた様に比喩される。一般的に客家土楼建築自体、小さな宇宙を築いていると言われるが、ここは村自体が小さな宇宙の集合体となり、それらが複雑に構成され、さらに大宇宙へと発展しているようにも感じられる。
土楼は、客家人のこれまで辿った歴史的背景のメタファーとしての宇宙であることが、ここを訪れるとそれが実感できるのである。

この記事は現在書きかけのものです。
 
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